送信者ひ孫
宛名おばあちゃん
メッセージ
物心ついた時から両親より一緒にいてくれた。保育所に迎にきてくれるのもおばあちゃんだった。小学校にあがるころ、朝起きると母親が出て行った。父親はそのときにはもういなかった。
2階から呼べばすぐにきてくれた。たいした用じゃない。やれ蜘蛛がでた。やれ背中がかゆい。怖いテレビを見た。わざわざ階段をのぼってすぐにきてくれた。
飼っていたインコが猫に襲われて死んだ時、自分と妹はおばあちゃんの膝で泣きじゃくった。おばあちゃんも泣いた。けれどおばあちゃんはインコが死んでしまったことで泣いたんじゃなく、こんな状態の僕たちについているのが両親じゃなくおばあちゃんであることで泣いていた。そんなことはない。おばあちゃんでよかった。
そのころはおばあちゃんがいてくれることが当たり前すぎて感謝を伝えることができなかった。そうしていたらいつのまにか痴呆がはじまって、おばあちゃんに近づくことがなくなって、あっという間に死んじゃって、何の恩返しもできなくなった。
今の自分で会えたなら、どれだけ優しく接することができるだろうか。どれだけ感謝を返せるのだろうか。
おばあちゃんは何か楽しいことがあっただろうか。自分がもっと素直でいい子であったなら、もっとおばあちゃんを笑わせられたのだろうか。
子供のころの自分が羨ましい。おばあちゃんが当たり前にいたころの自分が羨ましい。
真っ直ぐなおばあちゃんが育てたはずなのに、ひん曲がった性格になっちゃったけれど、育ててくれてありがとう。